はしもとダークサイド

美容師の日常と苦悩と快楽。

【長分】みんなに知っていてほしい、カンボジアの黒歴史。

おはこんばんにちは。

 

カンボジアに日本人が設立した学校があって、そこを支援していこうとされているお客様が、先日カンボジアに行っていろんな話を聞いてきたんだって。

 

その内容を聞いたら、それがあまりにも衝撃な内容で。

 

語られることのないカンボジアの闇歴史。

 

たった4年間で200〜300万人の人が殺されるという、語られることのない歴史があるのをご存知だろうか。

 

虐殺の他、干ばつ、疫病、飢餓含めて正確な人数も出ないくらい。

 

カンボジアポルポトが政権をにぎるカンボジア共産党、別名「クメール・ルージュ」という組織が実権を握っていた1975年〜1979年の4年間。

 

 大阪市くらいの人口を、4年間で1人残らず虐殺するといったらこれの残酷さが伝わるだろうか。

 

1日に約2000人殺される。それが4年間毎日続いたと言えばこの残酷さが伝わるだろうか。

 

頭の良い人間が政権の邪魔になるということで、最初に大学の教授から殺されていったんだって。

 

 

 

 もう殺される理由とか「海外渡航歴があるから」とか「本を読んでいたから」とか。無意味な殺戮が繰り返されたんだ。

 

医療を施せる人間も殺されてしまっているので疫病が蔓延する。 

 

そのうち子供が大人を支配する国になっていって。

 

だから現在はカンボジアにお爺さんお婆さんみたいな人はほとんどいないんだって。

 

 ポルポト政権を説明するには当時の世界情勢を知る必要があるので長くなるけど説明するね。

 

 

 

世界は冷戦真っ最中。アメリカ率いる資本主義国とソ連率いる社会主義国に世界中の国が分かれて、いがみ合っていた時代。

 

カンボジアは戦前、フランスによって植民地化されていて、フランスの植民地政府が統治していたんだって。そこで第二次世界大戦が勃発すると、日本軍がやってきてフランスを追っ払ったんだ。だけど、日本が敗戦すると再びフランスが植民地化しようとまた戻ってきた。

 

そのとき、フランスによる再植民地化を防ごうと立ち上がった人物、ノロドム・シアヌークが、力ではフランスには勝てないと考えて、国際世論に訴えるという方法でフランスに立ち向かっていったんだ。

 

シアヌーク作戦は成功。1953年フランスからの完全独立を果たした。シアヌークは王位に就任し、ここにカンボジア王国が建国。国民のシアヌーク支持はとてつもなく高かったんだって。そりゃそうだよね。フランスを追っ払ったんだから。

 

さて、説明したとおり当時は冷戦時代。独立を果たしたカンボジアが資本主義国となるのか社会主義国となるのか、世界が見守るなか、カンボジア王国がとった方針はソ連率いる社会主義国

 

シアヌークは王位がいろいろやりづらいこともあり、父親に王位を譲り、自ら国の指導を行って、それは一種の独裁政権ともいえるやり方で社会主義制作を行っていたんだけど、それでも国民の支持率は圧倒的に高かったのでまぁ良い方だったんじゃないかな。

 

 

 

そんなシアヌークも弾圧を行なってたんだ。その矛先は、カンボジア共産党の急進党。ここにポルポトも含まれていた。シアヌークは当初、左派に歩み寄っていたんだけど、過激派のあまりに急進的な思想に危機感を覚え、弾圧を加えて都市部から追い出した。まぁ、共産主義っていうのは王家とか認めないから仕方ない。

 

弾圧されたポルポトのいる急進派は逃げてジャングルに潜伏。

 

この潜伏中に北京などを歴訪し、のちの毛沢東思想を学んでいたのではないかっていうふうに言われていて、その毛沢東思想が「知」を嫌っていたって言われてるんだね。

 

 

 

 

一方で社会主義となったカンボジアを歯噛みしながら見ている資本主義国の中枢、アメリカ。

 

当時のアメリカでよく唱えられていた考えに「ドミノ理論」というのがあり、それは「貧困地域において、ひとつの国が共産主義化すると、まるでドミノ倒しのようにまわりの国々も共産主義化する」というもので、貧困国の多かった当時の東南アジアでカンボジア共産主義化したことを嫌っていたんだ。このドミノ理論は、その後のベトナム戦争にも大きく関わってくるんだけどそれはさておき。

 

どうにかカンボジアを資本主義国にもっていきたいアメリカは、CIAがシアヌーク政権を倒すために水面下で動き始めるんだ。CIAが目をつけたのは、シアヌーク政権下で首相と国防相を兼任していたロン・ノルという人物。

 

1970年、アメリカの助けを借りたロン・ノルシアヌークが北京・モスクワに行っている隙を突いてクーデターを起こし、なんと政権を奪取。国名もクメール共和国に改めちゃった。

 

ロン・ノルアメリカの支持を受けるほどだから、当然ながら右派。彼は国民の支持を得るために反ベトナムを掲げた。

 

そうそう、ベトナムカンボジアってめっちゃ仲悪いんだよ。それはフランスに植民地化される前のカンボジアってベトナム王朝に圧迫されていたんだって。

 

話を戻すと、ロン・ノルは国内のベトナム人を徹底的に弾圧。当然、ベトナムは大激怒。当時のベトナム北ベトナム社会主義)と南ベトナム(資本主義)に分かれて、ベトナム戦争の真っ最中で、このうちの南ベトナムに結成された南ベトナム解放民族戦線共産主義)とアメリカはベトナム人保護を掲げて、カンボジアに出兵。しかし、アメリカの思惑はカンボジア国内に潜伏している共産主義勢力を攻撃することだったんだ。そう、ドミノ理論が懸念された故にいろいろ始まってしまったんだ。

 

アメリカ軍は共産主義者が潜伏していると思われる農村部を空爆します。これにより数十万人の農民が犠牲になり、100万人を超える難民が都市部に逃げ込みました。当然ですが、国民のロン・ノルへの反発心は強まっていきます。そんな国民の支持を次第に得ていく勢力がありました。カンボジア共産党クメール・ルージュ

 

政権を奪われたシアヌークは北京に亡命していました。ところが密かに帰国してクメール・ルージュと手を組もうとしていました。シアヌークは苦肉の策として、かつては弾圧したクメール・ルージュに助けを求めたのです!!…結果的にはシアヌークを受け入れる形になりました。それはシアヌークの圧倒的な国民からの支持率を利用するため。

 

国民の支持とシアヌークを手に入れたクメール・ルージュロン・ノル政権を打倒するために武力闘争を開始し、ここにカンボジア内戦が始まりました。アメリカの支援を受けたロン・ノルアメリカ製の武器を手に戦いますが、クメール・ルージュのゲリラ戦術に苦戦します。

 

 1973年、ベトナム戦争北ベトナムの勝利に終わり、それに伴いアメリカ軍・南ベトナム民族解放戦線とともにカンボジアから撤退することになりました。ポルポトは国名を「民主カンプチア」と改めます。

 

 

 

ここからがまじで地獄。

 

 

 

ポルポトの思想は毛沢東に影響を受けた「原始共産主義」というものになります。共産主義の中でも過激な思想だと言われています。階級・格差というもを批判し、原始時代のような社会を再現しようとしました。

 

ポルポト率いるクメール・ルージュはとんでもない統治を始めます。政権を奪取したポルポトシアヌークを軟禁してしまいます。そして難民で溢れていた都市部の人々を食料生産に従事させるために半ば強制的に農村部へと移住させてしまいます。クメール・ルージュに対する外国からの支援は打ち切られることが予想されたので、食糧生産を増やすのが急務だったのです。移住させられた人々は少ない食事で過酷な重労働を強いられます。

 

ここから、ポルポトは国内から知識人層を根絶することを目指します。知識は人々の間に格差をもたらすと毛沢東思想では考えられていて、影響を受けたポルポトも「国を指導する我々以外の知識人層は自国に不要」と考えたわけです。

 

過酷な農作業に従事していた人々に布告が出されます。「医者・教師・技術者・学生だった者は名乗り出てほしい。国の再興には君たちの力が必要だ」こんな感じの布告でした。当然、該当する人は辛い農作業から解放されるわけですから名乗り出ます。みんなから拍手を受けて見送られる知識人は二度と帰らぬ人になってしまいます。国の為に「処刑」されます。

 

 

この知識人層狩りは次第にエスカレート。以下の分は本当にあった処刑の話。

「本を読んでいる」

「海外行ったことがある」

「ラジオを聞く」

「旧紙幣を持っている」

「子供に教育した」

「腕時計をしている」

「恋人がいる」

「眼鏡をしている」

「手が綺麗」

「イケメン&美女」

 

は?って感じですよ。まじで。

これらを理由に処刑された人が実際にいたのです。

 

さらにポルポトは密告制度を導入。反体制派とか知識人とか密告しろってことです。人々は密告されると殺されるということで、擬人暗鬼になり、殺される前に密告するという状態が生まれます。母親が自らの子供を密告・兄弟を密告・妻、夫を密告。もう最悪です。

 

そして社会的な役割を子供に着かせます。兵士も13歳以下の子供が採用されました。これは「悪質な」思想に染まっていないから、原始共産主義を良く「理解」するからということです。他にも強制収容所の看守も子供でした。そして医者までも子供だったのです。このような子供医者は数ヶ月の医療教育を受けただけで、ろくな医療知識を持っていませんでした。ろくな消毒もできず注射した傷口は膿み、それが原因で死亡する人が続出。そんな子供医者は手術まで行います。…最悪です。

 

誰も信用できず、いつ自分が殺されるかわからない。しかも日々、少ない食料で重労働させられる。

 

以下はポルポトの指令書です。

 

「我々は独自の世界を建設している。新しい理想郷を建設するのである。したがって伝統的な形をとる学校も、病院も要らない。貨幣も要らない。

 

たとえ親であっても社会の毒と思えば微笑んで殺せ。今住んでいるのは新しい故郷なのである。我々はこれより過去を切り捨てる。

 

泣いてはいけない。泣くのは今の生活を嫌がっているからだ。

 

笑ってはいけない。笑うのは昔の生活を懐かしんでいるからだ。」

  

そしてポルポトは地雷を「完全な兵士」として高く評価し、西部のタイとの国境地帯を中心に大量に敷設します。これが東南アジアで地雷被害を今でも引き起こしている根源原因です。

 

さぁ、ポルポト政権はここからどのように進んでしまうのか。ポルポトロン・ノルと同様に反ベトナムを掲げました。クメール・ルージュのラジオ放送では「ベトナム人を排除するのに洗練された武器は必要ない。歴史ある民族の各人が、その手で一人10人のベトナム人を殺せば足りる」と放送するほどでした。

 

1978年、ポルポトベトナム領内に軍を派遣し、住民を虐殺します。当然ながらベトナムは黙っていません。民主カンプチアより亡命してきた人々で「カンプチア救国民族統一戦線」という軍隊を作り、ベトナム軍に組み込みます。この軍隊とベトナム軍が民主カンプチアに組み込みます。

1979年、首都プノンペンを陥洛させてしまいます。あまりに早い攻略はポルポト兵士が子供だったから。

 

しかしここでベトナムにとって誤算となることが起きます。民主カンプチアの事実上の同盟国だった中国がベトナム軍の侵略に対する報復として、ベトナムに進軍してきたのです。これは「中越戦争」と呼ばれる戦争です。ところがベトナムが中国を返り討ちにします。

ベトナム第二次世界大戦からフランス→アメリカ→カンボジア→中国と戦って全戦全勝

 

ベトナム強すぎ。

 

カンボジアを勢力下に置いたベトナムヘン・サムリン政権を打ち立てます。負けたポルポト一派はタイ国境沿いのジャングルへ逃れ、武力闘争を続けることになります。ちなみにベトナムソ連の支援を受けており、ポルポトは反ソ連、反ベトナムなのでアメリカと中国の支援を受けていました。

ポルポトに支援するなんてどういう事だ!と思われるかもしれませんが、当時のカンプチア鎖国状態で国内の情報は全く漏れていませんでした。亡命する人の証言もありえないことばかり言われて信じられていませんでしたが、ベトナムによって事実が把握されると、証言以上にひどい実情が明るみになったわけです。

 

そして1989年にベトナムカンボジア国内から撤退します。1993年には国連監視下で総選挙が実施され、カンボジアは立憲民主制の国として新たなスタートを切り、今に至ります。

 

ポルポトから開放された1979年、カンボジアの85%が14歳以下という状態。

 

ポルポトクメール・ルージュを率いて闘争を続けるも、次第に勢力は縮小していきます。1996年にはポルポト軍は完全に壊滅し、ポルポト本人も1997年に心臓発作で死去します。

 

 

 

 

以下のURLを超参照しています↓

http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/note/n87481

 

 

こんな悪夢のあったカンボジア。この闇歴史をなるべく多くの人に知ってほしいと思いました。

 

長分すみません。ここまで読んでいただきありがとうございます。

 

 

日本人が作った学校の生徒が、今やっと校長先生になって戻ってきたそうです。

 

私は日本人としてカンボジアで活躍されているNPO団体の皆様を心から誇りに思います。

 

 

 

仕事行ってきます。

 

 

 

 

【プロフィール】

f:id:hassihair:20160805085627j:plain

橋元リョウイチ

f:id:hassihair:20161104025722p:plain f:id:hassihair:20161104025929p:plain f:id:hassihair:20161104030107p:plain

原宿にある美容室「VIRGO」スタイリスト

東京都渋谷区神宮前2-32-3ニチハタビル3F

竹下通りの出口から徒歩約3分

TEL 03-3403-8090

【お待ちしております】

↓橋元リョウイチの美容室のご予約↓

 

f:id:hassihair:20161020171119g:plain

 

f:id:hassihair:20161020185714g:plain

※指名料はかかりません。

 

橋元リョウイチは美容師です↓

f:id:hassihair:20161029211147g:plain